投稿日:2007-05-24 Thu
故金煕重(Hie-Dschung KIM)さんは、東京ヴァイオリン製作学校で一緒でした。私よりも5〜6才くらい年上の方でした。夜遅くまで工房で作業しながら、製作について「喧嘩」したものです。もちろん我々は「議論」していましたが、周りからは「また喧嘩している」と思われていたようです。金さんは完璧主義者で、ソウルに戻ってからも無理をして仕事をしたのでしょう。・・・まったく。
私がドイツから帰国してすぐ、金さんのお弟子さん(?)から訃報の電話がありました。私は金さんのお墓参りにも行く機会を逸し、この10年少しの間、いつも心に引っかかるものがありました。
金さんは技術的にも人間的にも、これからの韓国のヴァイオリン製作の中心人物になることは間違いないだろうと思っていたのに、残念でなりません。
金さんは韓国に何かを残せたのでしょうか?お弟子さんは育ったのでしょうか?金さんの製作への意志は、韓国に何か残っているのでしょうか?私は何も知りません。
しかし、我々はそのような先人、知人、友人、そして弟子達に影響されながら、伝え合いながら製作しています。金さんとのあの頃の「喧嘩」も私の身体の一部です。
私がヴァイオリン製作について、本気で喧嘩できたのは金さんだけでした。そのくらい、ヴァイオリン製作に熱い人でした。
もしも金さんがどこかで見ていたら、「私はあなたのことを忘れたことはないよ!」と一言言いたくて、この文章をようやく書きました。
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